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SMC静岡マウンテンクラブ

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2014年 6月  第152回山行記録 


  四国百名山 石鎚山/剣山     剣山行程図   石鎚山行程図
                                                    
       実施日:平成26年6月5日(pm9:00夜立ち)6日(金)7日(土)8日(日)  天候:曇り時々雨               
   参加者:19名(ゲスト2名) 男性:9名 女性10名  
  担当リーダー:大川  サブ:梶本     レポート:佐藤 
   
   今回の山行は「伊予の高嶺」と詠まれ、霊山として崇められている西日本最高峰の石槌山と平家伝説の歴史と信仰の西日本第二の高峰剣山を目指す。ともに日本百名山に掲げられる名峰である。

5日 曇り 「旅立ち」
 東海地区も入梅となりその上全国的に激しい大雨の予報。これから出かける四国には大雨による土砂災害警報も出されるなど緊張気味のスタートとなる。21:00 一名の不参加者が出総勢19名を乗せたセイシンの小型バスは東名ICより一路西国へ。眠れぬままじっと目を閉じて体を休めることに専心。何回かのトイレ休憩、時々小雨が降る程度で大きく降る気配はない。名神高速、神戸淡路鳴門自動車道と走り続けて四国に入ったようだとおぼろげに感じる。明るくなって窓のカーテンを開けると大河に沿って走っている。吉野川だ。鄙びた集落を幾つか過ぎて渓谷沿いのR438を行く。大雨の後なのに谷の流れは澄んで奇岩を滑るように落ちている。国道とは名ばかりの細い道路が深い渓谷に沿って緩やかに登って登山口の見ノ越を目指す。


 6日(金)曇り時々小雨 「剣山」へ
7:00 登山口の見ノ越着。朝食、身支度、雨がぱらつき雨具の装着。長旅の身体を思い切り伸ばし記念撮影をすませ剣山への急な石段を踏み出す。観光リフトを使えば僅か8分を息切らし汗流して広葉樹林帯の湿った登山道を登る。夏鳥たちの囀りは美しく巨木、巨岩が目を惹く。体調の思わしくない人も出る。リフトの終着、西嶋駅8:10 尾根道を避け楽々コース?を昇る。ダケカンバの明るい登山路を詰めると大剣神社、神社裏に御塔石が剣のように屹立している。8:40 登山路の傾斜が厳しい、薄日が差したり、ガスが流れたり、小雨がと目まぐるしい。ホトトギス、ジュウイチが鳴いている。鳥居をくぐると剣山本宮 9:00.遅れ組と合流山頂へ。剣山々頂はその名に背き平らな笹原に木道が整備され平家の馬場と称される台地だった。濃いガスで見通しも悪い。1995mの山頂には石が積み上げられ注連縄が巻かれている 9:15 グループを分けて次郎笈へ。霧の切れ間から優美な稜線が時折現れる。サブリーダーが快適に飛ばす、もう少しゆっくりと念じながら息を切らして追いていく。次郎笈1930と思しきピークに着くも標識がない。SさんのGPSで確認、10:00 昼食の予定が見晴しも無いのでそのまま奥槍戸コースを戻り分岐点10:30から遊歩道を西島駅へ下る。11:00西島駅 別グループと合流。霧が濃く暗い往路と同じコースを下る。オオルリ、ミソ
サザイ、鶯に混じり「ツキ ヒ ホシ ホイホイ」と三光鳥の特徴ある鳴き声。12:00 見ノ越着。国道438、徳島/松山自動車道と乗り継ぎすれ違いの難しい山道を4時間掛けて漸く今宵の宿石鎚温泉「京屋旅館」へ。16;00 リーダーが急いだ訳が漸く判明。早めの入宿でゆっくりと疲れを癒すことができた。乳濁色の濃い温泉で汗を流し、山の幸で軽く晩酌、19時前に就寝。
 
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剣山登山口で。
 
  
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             リフト西島駅へ合流
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ヤマツツジが美しい。
 
  
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山頂間近の本宮鳥居。
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奇怪な岩峰
 
  
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広く穏やかな剣山山頂。
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木道も良く整備されている。
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次郎ギュウに到着。
 
    
   7日(土)晴れ時々曇り、小雨 「石鎚山」へ
 目覚めると谷川の対岸に広がる緑にガスが流れているものの山の稜線の向こうには青空が広
がっている。ゆっくりと朝食を済ませ一番の石鎚ロープウエイを目指す。
天気は気侭、ガスが出てロープウエイからの展望は残念ながら白い霧の切れ間の山の緑だけ。
7;50山頂成就駅 整備された遊歩道、折り返しを繰り返し往くと小さな集落を思わせる佇ま
いの石鎚神社成就社前に着く 8;20 登山の安全を心鎮めて祈願。
鬱蒼とした大木の森に登山道がのび長い下りの連続、八丁坂。8;20木段の急な登りがきつい。
9:25 試しの鎖、鎖を右手に見て通過。9:30 前社ケ森 急傾斜のきつい木段の道が続く。
疲れてきたのだろうか小さなスリップの連続。10;00夜明峠。ガスの切れ間の前方に黒い岸壁
、鎖場だろう。10;15一の鎖。一部の人を除いて果敢に挑戦。意気込みとは別にやはり手古摺る。
雨が来たようだ、ザックカバーと上だけの雨対策。雨具をつけると途端に暑くなってくる。
 二の鎖は避けて巻き道を行く。鎖場は一部補修工事中であった。迂回路とは言え急峻な登り、
雨もぱらつき足元が覚束ない。前方が開けて見える、弥山(石鎚山)山頂だ。11;20かなりの登
山客が屯している。記念撮影、昼食。霧の晴れ間に天狗岳が姿を見せるが一瞬の間に隠れてしま
う。天狗岳への登頂は諦め、土小屋コースを今宵のお宿「国民宿舎石鎚」を目指して下山。
太陽が顔を出した、暑い、が遥かに続く稜線の景観が素晴らしい。気持ち良い稜線歩きは快調。
国民宿舎には予定
より一時間も早い14:00に着き、チェックインまで一時間待たされる羽目に。
入浴も16;00からと止む無く、まずはビールで乾杯、無事な山行を労う。15:00にチェック
イン。入室するも寒いので備え付けの炬燵をセット。入浴、乾杯、夕食と済ませ19:00には就寝。

8日(日) 晴れ「旅の終わり」
 8;00出発。帰りのバス旅は11~12時間は掛かりそうなので、尾道での観光は取りやめ静岡へ
直行とする。道路の狭いところではすれ違いに難渋、天候も回復、松山自動車道に入ると周囲の
景観も明るい。
11:20 来島海峡SAにて瀬戸内海を眺めて当地の名産での昼食。尾道まで島々を繋ぐ西瀬戸
自動車道からの穏やかな海と行きかう多くの船や島々の景観を楽しむ。やっと見つけたコンビ
ニはトラックステイションの中なので、アルコールは売ってない。長丁場をアルコールなしか。
諦めきれないSさん、冷蔵庫にあったドライバーのビールを交渉でゲット、そのお裾分けにあ
ずかる。
 バスはかなり飛ばしてくれるがとにかく長い、未だ600キロはあるらしい。兵庫に入ると先
月バーベキューの不始末で起こした山火事の痛ましい姿が高速沿いに見える。
たいした渋滞に巻き込まれずに済んだものの静岡への道は遠い。21:00過ぎに漸く静岡IC。
静岡駅南口21:10 無事到着。解散。ご苦労様でした。
 四国の山はやはり修練の峰、登山にも苦労したが往復約1700キロのバスの移動が
堪えた。
リーダーの人達には厳しい天候、長丁場の移動、酷な歩行と悪条件のなか適格なリードをし
て頂きありがとうございました。二度とは体験出来ないであろう厳しくも感慨深い四国の
山旅は忘れえぬ深い思い出となりましょう。「s」


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石鎚温泉「京屋旅館」前で。
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石鎚温泉「日帰り湯」。
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「役行者」を祀る。
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不思議な雰囲気の温泉街。
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鳥居をくぐりいよいよ登山道へ。
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道は良く整備されている。
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いよいよ鎖場へ。
 
 
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「一の鎖」に挑戦
 

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巨大な根曲がりブナ。
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ヤマシャクヤクの群生地。
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ヤマシャクヤク
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山頂の岩場。
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石鎚山山頂にて。
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しっかりと整備された「土小屋コース」下山道。
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晴れ間も覗き眺望も楽しめた。

「余分なことながら」

ご存知の方も多いのではと思いますが。
100名山の著者「深田久弥」が茅ケ岳で忽然と逝った三日後に脱稿された山岳紀行に「日本百
名山 その後 山頂の憩い」がある。その中で著者は「百名山」以後、私は相変わらず山登り
を続けている。そして是非百名山に入れたい山も幾つか知った。それらは標高では第二線級で
ある。しかしその山の形の美しさや品格のある点では、三千メートル峰にも劣らなかった。
こういう山のよいところは、それが「人知れず」存在して、第一線級の擦れたところのない
点である。騒々しさもなく、人工施設もなく本当に山だけがあるといった感じである。
日本にはまだまだ私の知らない山がたくさんある。「日本百名山」を終わっても私の登りたい
山は尽きない。と結んでいる。その紀行文の一番目に今回我がクラブが土砂崩れで見送った
「京丸山」が取り上げられている。著者は仲間4人で秋葉山に登ったあと、「京丸山」を苦労
して登り終えるが悪条件が重なり宿泊に苦労する。漸く気田に宿屋を見つけ迎えの車を頼み、
それを待つ間に持参のウイスキーを空にして宿に向かう。著者曰く「氣田へ着いたのは10時
すぎ、宿屋の気のいいおかみさんは、夜おそく私たちの「もう一本、もう一本」とくりかえ
すのに嫌な顔もせず、お燗をつけてくれた。」 ~どうも山男には
呑兵衛が多いようだ。
因みに深田久弥が「京丸山」に登った当時、まだ京丸には藤原家当主の藤原忠敬さんがただ
一軒ご先祖をお守りして住んでおられ彼らは宿をお願いしたと記している。